2017年8月 「平和を実現する人」  マタイによる福音書5章9〜12節

     今年の8月6日(日)は、平和聖日であり、広島に原爆が落とされた日から72年目の日でした。私はかつて山口市に住んでいましたが、山口県は、広島県、長崎県に続いて被爆者が多い県です。被爆直後、被爆者は、山口陸軍病院にも運ばれました。次々と亡くなられ、身元不明のまま葬られました。その場所に原爆死没者の碑が建てられています。「ゆだ苑」という山口県原爆被爆者支援センターがあります。以前は温泉設備がある被爆者福祉会館でした。「ゆだ苑」は被爆者の証言集を何冊も発行しています。「『水 みず』の叫び声をわすれないで」との題の冊子を読み返してみました。被爆60周年に、120人以上の方々が、一筆でもと書き残したものです。どなたの文章にも共通なのが、「地獄を見た」との言葉であり、2度と戦争をしてはいけない、核兵器を使用してはならないという訴えです。助けを求める声、「水・水」と呻く声の中で、自分が逃げることで精一杯で、何も出来なかったと、亡くなられた方々への負い目の言葉も多いのです。山口教会の信徒だった亡きNさんの文章もあります。Nさんは、父親に、被爆したことを誰にも話してはならないと厳しく言われ、長い間、決して話さなかったそうです。ある時から伝えなければならないとの使命感を覚え、語り部をされていた方です。被爆体験を記し、「現在はキリストの愛の教えをその根底として世界の平和の実現・核兵器の廃絶を願って、微力ながら努力しています」と結んでいます。   平和を願う時、いつもマタイによる福音書5章9節のみ言葉を思い起こします。イエス様が山の上で、弟子たちに語りかけた教えです。当時は、ローマの占領下にあり、軍事力によって「ローマの平和」が保たれ、ローマ皇帝が「神の子」と呼ばれていました。平和を願っても、そのために何の影響も与えられない無力な人々に、イエス様は「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と語られました。  世界ではいつも戦争が起きています。日本も再び戦争が出来る国へと変えられて行きます。国際的な平和の問題では、個人は無力であると思ってしまいます。自分たちの身近な人との間でさえ、争いを治めることができない私たちです。それでもなお、「平和を実現する人々は、幸いである」とのみ言葉が、私たちに与えられているのです。平和を実現するために、働くようにと召されているのです。   誰が支配するかの争いは、迫害を伴います。イエス様は、10節で「義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」と続いて言われます。天の国に住まいを用意して私たちを招くお方が、まことの「神の子」であり、「平和の君」です。最終的に平和をもたらして下さるキリスト・イエスに在って、平和が実現される希望があるのです。平和・平安がありますように祈ります。



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