2018年5月 「聖霊の賜物を受けて共に立つ」 使徒言行録2章1〜42節

 今年度は、4月1日が復活日、5月10日が昇天日、5月20日が聖霊降臨日(ペンテコステ)です。

 復活された主が、「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカによる福音書24章49節)と言われ、昇天されてから十日目の出来事です。使徒言行録2章は、五旬祭(ペンテコステ)の日の、聖霊降臨と教会誕生を記します。

 弟子たちは、都エルサレムの一弟子の家で、集会をしていました。突然、一同の上に、約束されていた聖霊が降ります。弟子たちは、聖霊に満たされ、ほかの国々の言葉で話しだしたのです。激しい風が吹くようなこの物音を聞き、大勢の人が集まって来ました。そして自分の故郷の言葉・通じる言葉で、使徒たちが話すのを聞きます。ガリラヤ訛りで話していた弟子たちが、あらゆる国の言葉で、神の偉大な業を語るのを聞いたのです。

 2011年3月、わたしは埼玉県久喜市に転居し、亡夫の遺志を継いで開拓伝道を始めました。
まだ数人で集会をしていた3年目のペンテコステ礼拝で、アジア学院の学生を迎えました。フィリピンのV牧師です。神学生の奉仕で、V牧師用に英訳した説教原稿と英訳付き週報を作成し、讃美歌は英語の楽譜も用意しました。どちらを歌うかは自由で、ある者は「主我を愛す…」、ある者は「ジーザスラブズミー…」とそれぞれが元気に讃美しました。礼拝後に、紙芝居「ペンテコステの日に」(基督教視聴覚センター発行)を、全員で、英訳のセリフで演じ、その後、愛餐会です。苦手意識を乗り越え、皆が片言の英語とジェスチャーで、何とか相手と通じあう交流でした。分かる言葉で共に礼拝し、主に在って和やかな交わりを持てたのは、聖霊の導きがあったからでしょう。
 V牧師には、隣席で寄り添っていた高校生に、洗礼を奨めてほしいとお願いし、真摯に応えていただきました。

 使徒言行録に戻ります。人々は自分の故郷の通じる言葉で使徒たちが話すのを聞き、驚き、戸惑いました。酒に酔っているのだと言って、あざける者もいました。
 「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた」(14節)のです。旧約聖書を引用しながらの長い説教が始まります。ペトロの説教は、共に立った使徒たちの説教であり、使徒言行録の著者ルカの説教でもあり、聖霊降臨によって誕生した教会が、今も語り続けている説教です。
 「ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました」(22節)。しるしとは、十字架と復活です。「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です」(32節)。
 その場には、「イエスを十字架につけろ」と大声で要求し続けた群衆の一人であった者もいたのです。説教を聞いた人々は、心を槍で刺し通されました。「どうしたら良いのですか」と問います。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」(38節)と、福音を伝えました。
 わたしたちも、イエスを十字架につけた一人です。しかし、悔い改め、洗礼を受け、罪赦された者、聖霊を受けた者です。今や、教会のわたしたちは、主イエスの復活の証人であり、共に立って、神の救いのみ業を語る側にいるのです。

 ペンテコステで思い出すのは、三十年前の義父の洗礼です。ペンテコステの日に、病院で病床洗礼を受ける予定であった義父の容態が、数日前に急変しました。牧師の夫は、洗礼をすぐに授ける決断をし、長老たちに連絡するため、教会に戻りましたが、「間に合わないと思ったら、洗礼を授けるように。後で長老会で承認するから」と一信徒であった私に言い残したのです。生後半年の末っ子を抱きながら、ベッド脇で見守りました。長老たちが集まり、洗礼式に臨みました。式の中で、義父が「はい」とかすかに答え、日頃堂々としている牧師の声が震えていました。初めて聞く夫の震える声でした。続く聖餐式の最中、バタバタと看護師たちが入室して処置をしていて、意識がなくなった様子でした。聖餐式は続けられました。その晩遅く、義父は召されました。
 ペンテコステのたびに思い出すあの時、キリスト者は、いざとなったら洗礼を授ける側にいるのだと自覚しました。あの時から十数年後、私は東北教区で按手を受け、洗礼を授ける牧師になりました。

 キリスト者は、洗礼によって、賜物として聖霊を受けています。共に立って福音を伝える側・洗礼を授ける側なのです。信徒は、牧師と共に立って、教会の誕生と成長の働きに加えられているのです。
聖霊に満たされて、相手に通じる言葉で、神のみ業を伝える奉仕をさせられます。子どもにも、知的障がいがある方にも、初めて福音を聞く方にも、相手に通じる言葉で、救い主を伝えるのです。

 さて、数年前V牧師に洗礼を奨められた高校生は、その後受洗し、伝道者を目指して学ぶようになりました。集会所は、日本キリスト教団の伝道所になりました。小さな群に、「この町の主の民」が少しずつ加えられています。
 ペンテコステの礼拝に、赤いネクタイの紳士がいます。赤いTシャツの若者がいます。赤いアクセサリーをつけた婦人がいます。ふだんは身に着けない赤いものを、聖霊の徴として身に着けて、何だかウキウキとした思いで、ペンテコステ礼拝への招きに応えます。
 5月の季節のさわやかに吹く風にも、激しく吹く風にも、創造主なる神・聖霊なる神を覚えて、み名を讃えます。

 「聖霊の賜物を受けて共に立ち」、主イエスの十字架と復活の証人として、用いられ、各教会に、新たな仲間が加えられますようにと祈ります。今年もペンテコステに、世界中で「三千人ほどが仲間に」(41節)加わることでしょう。

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