2022年6月 祈 り ー初めて祈ってからー 

 

 小学生の時、級友の家から帰る夕暮、(ほこら)の前で「拝まないで通ると罰が当たる」としつこく言われ、仕方なく手を合わせた時、向かう相手は空しいものと感じました。帰宅し「神様、偶像を拝んだことをゆるしてください」と祈った時、確かに聞かれていると思いました。  

 教会の「高校生会」の時、偽善者だと示され、「罪人の(かしら)です」と涙して祈り、受洗を決意しました。  


 末息子が幼き日、就寝前に母と家族全員の名を挙げて祈りました。その息子は、現在、交通事故の脳外傷後遺症で記憶障害と失語症があります。「聖書を読み祈る会」で、同席の人の名を毎回確認してから「KさんとIさんとSさんをお守りください。Yさん(母)と僕もお守りください。ワークスみぎわをお支えください。頭が痛いです。助けてください…」等と祈ります。


 久喜復活伝道所の「聖書を読み祈る会」は、主日礼拝より先に初めて出席する人たちがいます。新来会者にも、私は祈りを勧めます。祈りで向き合う「神」はイエス・キリストの父であり創造主であるお方。ヨハネによる福音書14章14節により「イエス・キリストのお名前で」祈る。「アーメン」の意味を説明。「中の言葉は自由に」と言って「祈りますか?」と尋ねると、「はい」と答えて、初めて、教会での片言の祈りをするのです。 


洗礼を受けてから、初めて礼拝で献金の祈りをする当番が来ます。祈りは、感謝と献身の言葉だけで良いと伝えます。頭の中が真っ白になるという人は、祈りの言葉のメモを用意しています。「主日礼拝の祈り」(教団出版局)から選んで、祈りの言葉を整える方もいます。 末息子の祈り「神様、どんな時にも一緒にいてくださってありがとうございます。この私と献金をご用のためにお使いください…」は、日立教会学校で受け継ぎました。


隠退教師の夫人が献金の祈りをされた時、認知症が進んでいることを承知していますが、祈りの言葉に長年の信仰生活が(あらわ)われていて、皆が敬愛の思いを抱きました。「献金の祈り」について「信徒必携」(教団出版局)は「他のことを長々祈って、あとで補足的に献金に触れるのでなく、ずばり献金のことに集中すべきである」と記しています。


主日礼拝での祈りは、公の祈りです。個人情報に関わる祈りはしないという教会もあります。


 隠退教師の小久保協力牧師が、主日礼拝の中で祈ります。久喜の地に伝道所が立てられ、共に礼拝を献げられる喜びを祈ります。十字架と復活の主キリストのみ業に(あずか)っている感謝を祈ります。老牧師の祈りに、皆が「アーメン」と唱和し、福音信仰と祈りの姿勢を受け継いで行くのです。


 愛餐会で、食前の祈りを誰かにお願いします。家庭でも共に食前の祈りをしているでしょうか。


密室で「主よ、憐れんでください」としか祈れない時があります。祈りの言葉も出ない時、ただ「主の祈」を祈ります。教会の諸集会では、いつも主が教えてくださった「主の祈」を共にささげます。

 

祈る人は、祈られていることを知っていて感謝しています。共に祈っていた時、聖霊が降り、教会が誕生しました。教会の群れの中で、共に祈る恵みに与りつつ歩めますように…と祈ります。

 

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