| 2024年3月10日 ただ、神の国を求めなさい ルカ12:22〜34 |
東京大空襲から79年、東日本大震災から13年が経ちました。東日本大震災によって、かつて過ごした宮城県や福島県の友人たちの中には、家族を失い、住まいと財産、仕事を失った人がおり、心にも深い傷を残しました。特に福島第1原発の事故による影響は、今も、将来も続いています。当時、埼玉地区は、被災地を支援する為、中古衣料を集めて現地に届けました。大宮教会のひと部屋の天井近くまで集まり過ぎて、季節に合わせた物を選び整理して送ると言う、奉仕活動がありました。
今、私たちの家には服がたくさんあり、整理したいけれど容易にできないと悩んでいます。日本は、お店の食品の1割が棄てられ、新品の服は、半分が廃棄処分されていると新聞記事にありました。
今、私たちのそれぞれの家には服がたくさんあります。日本は、お店の食品の1割が棄てられ、新品の服は、半分が廃棄処分されていると新聞記事にありました。
イエス様が「何を食べようか、何を着ようかと思い悩むな」と言われた時代、人々は「今日の献立は何にしようか」「今日はどんな服を着て行こうか」と悩んだのではありません。食べる物、着る物が無いため悩んでいる貧しい者たちです。それでも、イエス様は「思い悩むな」と言われました。「あなたがたの命と体は、食べ物や着る物より大切であり、あなたがたは鳥よりどれほど価値があるか。神は、あなた方を養ってくださる」と言われ、「あなたがたに食べ物・着る物が必要なことを天の父はご存知である。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは、加えて与えられる」と言われました。自分に必要だと思う食べ物や着る物を求めることより、「ただ、神の国を求めなさい。必要なものは、添えて与えられる」と、人々に、そして私たちに言われています。
日本の多くの人が「自分は中流の生活だ」と思っていた時代がかつてありました。今は、富む者と貧しい者に二分される時代で、生活保護を受ける人が増えています。この生活保護法を成立させるために尽くしたのは、クリスチャンの国会議員で、聖隷福祉事業団の創立者の長谷川保さんです。生命保険は、イギリスの牧師たちの活動から始まりました。牧師の仲間の死後、その家族を守るために、死に備えて毎月一定の金額を払い込み、牧師の死に備えたことが生命保険の始まりです。
「思い悩むな」とイエス様が言われたから、生活の心配は何もしない、将来に何も備えをしないというのではありません。ただ思い悩んでいるのではなく、み言葉に聴きながら必要な行動をするのがキリスト者であり教会です。「神の国を求めなさい」という「神の国」は、愛と義の神が治めておられるところです。神の前に出て、罪を悔い改めて、新たに愛と義の神に従って生きることが、何より大事であり、必要なものは添えて与えられるのです。
「あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ,ほかの事まで思い悩むのか」。寿命を延ばすのは思い悩んで出来ることではありません。ただ思い悩んでも寿命は延びませんが、健康的な生活をし、適切な医療を受けたら寿命を延ばせるでしょう。節制をして、健康管理することは大切です。毎日お風呂に入る人は健康寿命が延びるそうです。私たちは自分の体調から、漠然と自分の寿命を予想します。しかし、突然死ぬこともあるでしょう。それでも大丈夫なように、命を使うのです。目的は、寿命を伸ばすことではありません。与えられている命を、ただ、神の国を求めて生きることです。
「小さな群れよ、恐れるな。」と言われます。私たちは小さな群れです。小さな群れには、力がありません。ばらばらの思いと行動になったら、存立さえあやうくなる小さな群れです。しかし、「恐れるな」と言われ、「あなた方の父は、喜んで神の国をくださる」と言われます。「神の国を求めなさい」「小さな群れに神の国をくださる」と言われます。神の国をいただくとは、どんな状況でしょうか。小さな群れに、力が与えられ、愛が与えられ、大きな群れへと繁栄して行くのでしょうか。しかし、続いてすぐに「自分の持ち物を売り払って施しなさい。」と言われます。「神の国をくださる」とは、神や人々からたくさん受け取る側に留まっているのではなく、自分の持ち物を売り払って施しをするという神の国の与える側に入るのです。「自分のものを売り払って施しなさい」とは、ある宗教団体が言いそうなことです。勿論イエス様は、「私に施しをしなさい」と言いません。貧しく、食べる物・着る物に困っている人たちに対して施してしまい、自分も貧しくなるのです。
イエス様は、「擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい」と言われました。私たちの財布と預貯金の口座は、天にもあるのです。私たちが自分のものとして獲得したものが神の国で価値があるのではありません。施したもの、献げたものが、天にある財布、天の口座に積立貯金されるのです。久喜復活伝道所の土地建物購入積立金は、まだ〇〇万円です。この財産は、教会堂として、いつかこの地域の人たちに、ささげるためにあるのです。自分たちのためだけではなく、まだ福音を知らない人たちに献げるためです。
わたしたちは、財産を守るために、家も車もカギをかけます。イエス様の時代の家は、しっかり戸締りができず、盗人がねらいやすかったのです。服も、洗濯や防虫が容易にはできないので、虫に食い荒らされてしまったという経験をしていました。自分のわずかな財産さえ失くしてしまう煩いがありました。イエス様は「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ」と言われます。富を求める者は、富に心を奪われます。神の国を求める者は、神の国に心を使います。神の国のために…愛と正義の神の働きのために、自分に与えられているものを献げるのです。
財産があると、多くの願いをかなえられます。美味しいものを食べられるし、気に入った服を着られます。快適な家に住み、高額医療を受けられるし、様々なサービスを利用することができます。お金があれば、近寄って来る友もいるでしょう。高額な寄付をして、名声を得ることもできます。しかし、神の国を手に入れることだけは、絶対にできないようです。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(マタイ19:24)とまで、イエス様は言われています。
イエス様は、私たちを神の国に招くお方です。イエス様は、施す財産を持ちませんでした。財産を施されたのではなく、命を献げられたのです。命を捨てて、罪人の私たちを贖い、神の国に招いてくださるお方に、私たちは従って行く小さな群れです。「小さな群れ」とは、ただ人数が少ないというだけではないでしょう。「自分の行いでは神の国に入ることはできない無力な罪人である」と告白し、ただ「救い主の招きに与っている」と信じ告白する、謙遜で、小さくされた群れなのです。
私たちは、十字架と復活の主によって、罪を赦された者たちという小さな群れです。「ただ、神の国を求めなさい」との主のみ言葉を受けています。神の国を約束されています。喜んで、主のみ業に励み、献げる生き方を共に歩みましょう。
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