| 2026年2月8日 聖霊が言うべきことを語らせる ミカ7:6〜9 マタイ10:16〜23 |
マタイによる福音書2章で、東の国の博士たちがエルサレムにやって来て「ユダヤ人の王はどこにお生まれになったのですか」と尋ねた時、ヘロデ王は、祭司長や律法学者たちに調べさせました。「ベツレヘムで産まれると書いてあります」と答えています。ミカ書5:1のミカの預言です。預言者ミカは、預言者イザヤと同じ時代に活動しました。北のイスラエル王国に次いで、南のユダ王国も滅ぼされると預言しました。神に従わない民は滅ぼされる、国が亡ぼされると預言する者を、民は喜びません。その預言者を敵として、ひどい目に逢わせるのです。今、「聖書を読み祈る会」でエレミヤ書を読んでいますが、預言者エレミヤもひどい目に逢っています。ミカ書7:8で、「わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても、主こそ我が光」とミカは言います。敵が、ミカを倒そうとし、あざ笑い喜んでいる。そんな闇の中にいる状況の中で、光である主を、ミカは賛美しました。預言者たちは、闇の中で、光である神を見つめ、たとえ倒されても、起き上がって、主から託された務めを果たしたのです。
マタイによる福音書は、預言者たちを通して語られた神の言葉が、イエス様によって成就したと、福音書全体で伝えています。
マタイによる福音書10章の始めで、イエス様は、12人の弟子を選び、派遣しようとされています。イエス様は、弟子たちに、命じられました。「天の国は近づいた」と宣べ伝え、病人を癒し、「平和があるように」と挨拶するようにと命じました。それは、福音を伝える働きを命じられているのです。12人の弟子たちだけに言われた言葉では、ありません。主に選ばれて、キリスト者となった私たちにも言われている言葉です。私たちを選び、使命を与えて、遣わされるのです。
ところが16節からは、遣わされるところで、迫害を受けることを予告します。弟子たちを遣わすことは、「狼の群れに羊たちを送り込むようなものだ」と言い、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさいと言われます。狼に命をねらわれる羊のようでありながら、賢く、素直になりなさいとは、どんな判断と行動をして危機的状況を乗り越えるのでしょうか。「あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれる」と予告します。そして、「総督の前や王の前に引き出されて、証しをすることになる。」と言われました。捕らえられて、何を証ししなければならないのでしょうか。権力者の前で、敵対する多くの人の前で、何を話さねばならないのか不安です。しかし続いてイエス様が言われました。「引き渡されるときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である」とイエス様は言われました。父の霊とは、聖霊です。
信仰の友のHの母親Sさんは、戦時中、T教会の信徒として生きた方です。T教会は、当時、日本基督教団6部に属していました。6部や9部のホーリネス系の教会は、教職者たちが当時の治安維持法に反する疑いで検挙され、教会は解散を命じられました。教会堂での礼拝ができなくなり、教会員の家庭で密かに礼拝を守りました。特攻の取り調べがあった時、T教会を代表して、男性役員とまだ30歳代だったSさんが、赤ちゃんだったHさんをおんぶして警察に出頭したそうです。Sさんは、「何をどう言おうかと心配してはならない。その時には、言うべきことは教えられる」というみ言葉を信じ、聖書を持って、出頭しました。聖書の言葉で質問に答え、「ご苦労様」と言われて帰宅することができたと、証しをしています。
礼拝室の掲示板に、関東教区の各地区の2・11集会を案内しています。栃木地区は、A牧師を講師に迎えており、主題は「言うべきことは、その時に与えられる」と19節の言葉を掲げています。埼玉地区の講師のIさんは、キリスト教の伝道をしていた歯科医であった父親が、戦時中、3回牢獄に入れられ、3度目の広島の牢獄で被曝されたという方です。
「ホーリネス・バンドの軌跡〜リバイバルとキリスト教弾圧」と言う本の最後に、戦時中、解散させられた教会の名前と牧師の名前が載っています。私の祖父の名前も載っています。教団の6部と9部の教会が特に弾圧されたのですが、9部の教会に秋田県のY伝道所とM牧師の名前があります。M牧師は、半年の獄中生活後、不起訴になって牢獄を出されたのですが、2週間後に、若くして亡くなっています。過酷な牢獄での半年だったのでしょう。かつて私と夫が赴任したY教会に、M牧師の遺影が小さな部屋に掲げられていました。元日本基督教団の総会議長だったT牧師の父親は、青森の牢獄で亡くなられました。T牧師は、「わたしの父は天皇の名の下で殺された」とはっきり言う方でしたので、先生の元には、嫌がらせや抗議の電話だけでなく、カミソリの刃が入った封筒も送られて来たと、昭和の末期の頃に話されていました。T牧師の本が教会本棚に5冊並んでいます。T牧師は、優しい眼差しの人で、週報も手紙もまめに手書きで出す方でしたが、著書の中で、なまぬるい教会に対しては、言うべきことを言う先生でした。
私が、かつて私の父に、戦争が始まる前の様子を聞いた時、「いつのまにか戦争が始まっていた」と答えました。戦後80年になりましたが、もしかすると、今は戦前で、目を覚ましていないと、いつの間にか戦争が始まるのかもしれません。
教会は、2月11日を、「信教の自由を守る日」と定めています。60年前、かつて紀元節だった日が、「建国記念の日」と決められました。「建国記念日」ではなく、「建国記念の日」です。なぜ「の」が入るかと言うと、日本が建国された正確な日付を歴史的に特定できないからです。たとえば5月3日の憲法記念日は、日本国憲法が施行された日です。アメリカの独立記念日はイギリスの植民地からの独立宣言が採択された日です。しかし、2月11日は、日本書紀で、天照大御神の5代目の子孫である神武天皇が即位した日とされた旧暦の元日です。日本の神話からです。紀元節の日が、「建国記念の日」として制定される時、キリスト教界は反対する活動をし、この日を「思想と信教の自由を守る日」と定めたのです。
今、私たちは、信教の自由が守られており、迫害を受けていません。しかしそれは、ただ迫害を受けるようなことをしていないからかもしれません。今、わたしが、駅前に立ち、「悔い改めなさい」「イエス・キリストを信じなさい」「真の神を信じなさい」と説教をし、さらに、政治的発言をしたら、罵声を浴びせられることでしょう。防衛費を増やし武器を輸出する事に反対、集団的自衛権の行使に反対、原発の再稼働反対、外国人に対する差別反対、性的少数者への差別反対…そう思っています。その姿勢で今日の選挙で投票をします。しかし、積極的には表してはいないので、反対意見の人たちに、敵対視されないだけなのです。
22節で、イエス様は、弟子たちに「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる」と言われています。
私たちは、平和で自由な生活を送っていると思っています。敵の前で、弁明しなければならない事態が起きるとは思っていないのです。しかし、言うべきこと、弁明しなければならないことは、敵に対してだけではありません。家族に対しても同じです。一番身近な人が、反対する人になるのです。迫害がある時なら、家族が一番影響を受けるので、反対するのです。
「何をどう言おうかと心配してはならない。その時には、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。」とイエス様は、弟子たちに言い、私たちに、言われています。「父の霊」は、聖霊です。洗礼を受けた者は、聖霊を授かっているのです。内なる聖霊様が語らせてくださるのです。
宗教的対立や政治的対立だけではなく、友だちとの喧嘩や親子喧嘩、夫婦喧嘩の場合も同じです。ただ対立して、非難し合うのではなく、あるいは、ただ黙っているのでもなく、聖霊によって、言うべきことを語らせていただくのです。
イエス様は、弟子たちに「地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれる。総督の前や王の前に引き出されて、証しをすることになる」と予告されましたが、弟子たちより先に、イエス様ご自身が、最高法院に引き渡され、会堂で鞭打たれました。総督ポンテオ・ピラトの前やヘロデ王の前に引き出されました。
私たちは、キリストに倣う者です。聖霊によって、言わなければならない時があるのです。困難な事態の時、聖霊に語っていただくのです。聖霊に語っていただくとは、突然、ひらめくものが上から降りて来るのではありません。聖書の言葉を思い出すのです。人生の様々な出来事が起きる時、聖書の言葉を思い出して、慰めと励ましをいただくのです。
22節で「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と言われます。迫害を受けた時には逃げて行きなさいと言われています。逃げるのですが、もう逃げる先がない状況になる前に、人の子は来ると言われます。イエス・キリストの再臨があると言われているのです。私たちの最終的な希望は、主の再臨です。救いのみ業を完成して下さる時を、待ち望むことができるので、苦難の時にも平安が与えられているのです。
この地域では大雪の日にもかかわらず、主日礼拝を共に守れる群れであることを、喜び感謝します。聖書の言葉を聞き、聖霊に導かれる日々を過ごせますように祈ります。
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